赤旗記者歴42年を語る
当ブログもお気に入りに登録頂いています。
赤旗日曜版で文化関係の記事を書かれていた玄間太郎記者の講演の模様が紹介されています。
赤旗の記者の方の価値がこの文章の中に感じられます。
こういう記事を読むと心して赤旗を読まなければと思います。
この記事にも有りますが是非本にして欲しい物だと思います。
以下引用です。
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この集いの目玉でした玄間太郎さんの講演の内容を紹介します。
玄間さんは1月に赤旗を停年退職されました。
記
演題 記者生活42年を語る
講演者 玄間太郎氏
内容 赤旗記者歴42年を語って頂いた。
文化部時代(68-71)
1;「赤旗さん、大変なんでしょう」
初めてのインタビュー、長山藍子さん
「橋のない川」について10項目の質問を丁寧に答えて貰った。
レジでコーヒー代を払って貰ってしまった。
「赤旗さん、大変なんでしょう」と言われて。。
2;「君の能力を判断するのは編集局だ」
東大闘争をテーマに5人の座談会を行ったがテープには音が入ってなかった。
結局一人一人を再取材
とても勤まらないので辞めようと思ったが鈴木俊郎デスクにこう言われ、思いとどまった。
「君の能力を判断するのは編集局だ」
社会部時代(78-81)
1;「3度目、行ってこいや」
「富士に生きる」のインタビューで山梨出張3度行った。
最後はさすがに泣きついた取材
連載「反戦の記録」3-4回書き直しは当たり前
「記事は書き直してなんぼだ」小島修デスクは栗ちゃん(現/地方部の栗山記者)には「7回書き直させた」と豪語
いずれもいい記事になった。
2;「玄間さんへの花束だ」
指名解雇と闘った沖電気争議団の仲間64人全員インタビューを試みた。
一昨年の争議団の集いで他の人への花束だと思ったら
「玄間さんへの花束だ」と言われ感動した。
3;「すべて君の筆で書け」
長期連載「影の軍隊」のアンカー(原稿の最終責任者)を初めて勤めた
開始前、推理小説を乱読、1回目はしばらくの間暗記していた。
そうそうたる記者たちの原稿をそのまま提稿したら関口孝夫部長は受け取らなかった。
「すべて君の筆で書け」と言われて
このルポは評価が高かった。松浦総三氏に「戦後ルポの問題作の一つ」と評価された。
(影の軍隊は単行本になり今古本屋で7800円で売っているが多分2万円まで行くので買った方がいいとか!?)
党生活部時代(81-88)
1:「党中央、赤旗記者を特派」ー北海道委員会が私の取材日程まで機関誌で流して目標達成に凄まじい執念だった。
2:「新しい日が始まった」ー「赤旗編集局の24時間」(前衛)
日曜版時代(第一次=88-90、第二次=97-10)
1:「玄間屋太郎」ー連載小説「くじら組」(山本一力)に突然登場(原稿がぎりぎりで自分の名前を変更できなかった)
2:「君とのつきあいは何年かね」ー取材の後に五木寛之さん
「何か書かなくちゃな」と言われ日曜版創刊50周年のコメントを書いてくれた。
3:その他著名人
姫野カオルコさんや假屋崎省吾さんの話が印象的だった。
私の宝物
「言葉の束」(カード371枚)
「人はみなわが師」「われに師匠なし」(宮本武蔵)
「作品は遺書でなければならなぬ」(山本周五郎)
一日一日、1本1本を誠実に悔いなく。人生は今日一日のこと
おわりに
赤旗創刊の辞に思う、先輩記者たちの苦闘、情熱、喜び
「道絶えずば、また天下の時に会うことあるべし」(世阿弥『風姿花伝」)
日本共産党はいつの日か必ずや天下(政権)をとる。
質問に答えて
2006年2月 新潟中越地震のとき小林幸子さんにインタビューしようと思ったがレコード会社がokを言わなかったので長岡のコンサートに一ファンとして聞きに行き、その後インタビューが実現し、同じ新潟出身ということで意気投合し、軽トラックの上で歌を歌う彼女の写真付きの記事をを紙面に乗せたことが思い出される。
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会場で配られた資料によると玄間さんの記者生活はこんなデータに表現される。
インタビューした著名人 329人
主な連載 36回
書いた記事 4074本(スクラップブック90冊)
頂いた名刺 2241枚
日曜版(第二次)読者の反響 5cm
玄間さんの人柄がよく現されたいい講演会でした。
赤旗さん:この玄間さんの取材記録を是非本にして下さい。
全国の皆さん:玄間さんの講演を希望の方はこのブログに連絡下さい。
(期待に応えられるかどうかはわかりませんが玄間さんに伝えます)
赤旗を読みましょう!
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以上です。
「江戸川のほとり」さん 今後共に共産党の前進の為に連携して頑張りましょう!
宜しくお願い致します。
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