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上田耕一郎氏が死去

 しんぶん「赤旗」Web版には掲載されていなかったので、この記事で初めて知ったのですが、元副委員長の上田耕一郎さんが亡くなったという。
最近は、しんぶん「赤旗」にも音沙汰がなかったが、柔軟な考え方で“統一戦線”を広げるために尽力されていた印象が強い。

 Web版だけではなく、今日の新聞にも掲載されていないようであった。
 明日掲載されるのであろう。

 元共産党副委員長の上田耕一郎氏が死去
          読売新聞  2008年10月30日(木)21:34
 元共産党副委員長で元参院議員の上田耕一郎(うえだ・こういちろう)氏が30日、慢性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。

 81歳だった。31日に親族で密葬を行い、後日、「お別れ会」を行う予定。

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 上田氏は不破哲三・前共産党議長の実兄。1946年に共産党に入党し、機関紙「赤旗」の編集局長などを歴任。74年の参院選東京選挙区で初当選し、連続4回当選した。98年の参院選に出馬せず議員を引退した。76年から引退後の2006年まで党副委員長を務めた。

 他党との連携を視野に入れる「民主連合政府」を提唱し、党の現実・柔軟路線の理論的支柱となった。国会では、党を代表する論客として外交・安全保障問題を中心に論陣を張り、ロッキード事件などの疑惑を追及した。

 志位委員長は30日の記者会見で「暮らしから安保、平和の問題まで幅広く縦横無尽の働きをした。私自身、学生時代からあこがれていた」と語った。

上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年3月9日 - 2008年10月30日 )は、日本の政治家である。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。>> 


元共産党副委員長の上田耕一郎氏が死去(読売新聞) - goo ニュース

上田耕一郎氏死去 元共産党副委員長(共同通信) - goo ニュース

共産・上田元副委員長が死去=不破前議長の実兄(時事通信) - goo ニュース

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テーマ:日本共産党 - ジャンル:政治・経済

コメント

目的か、手段か

連合政権を実現するための統一戦線

「連合政権」というのは、「国民の命と暮らしを守る」ための「手段」であって、「目的」ではないはずなんですが、
「政権の座」ばかり向くのは、某党の「デージン病」と変わらなかったりする。

社民党の最大の欠点は、党内自身が「統一」できてないこと。
(「党」といえるのか、というレベルでもある)
’74年京都府知事選挙、成田委員長の時代の社会党は、「反・蜷川」の大橋候補を除名して、京都の組織を飛び越えて委員長自ら「統一戦線」の立場に立ったけれど、
今や、小沢一郎でさえ推薦できなかった門川市長を支持している。

  • 2008/11/19(水) 23:31:15 |
  • URL |
  • ×第二迷信 #2CpNAWCc
  • [ 編集 ]

「革新連合政府」

「新代可能」さんの意見は、私と大体同じですね。

ところが私の「革新連合政府の樹立を!」という主張が気に入らない人たちのほうが多いみたいですね。

  • 2008/11/18(火) 08:24:22 |
  • URL |
  • 秋庭晃 #-
  • [ 編集 ]

上田耕一郎さんご逝去に

上田耕一郎さんのご逝去を、今、ポラリスで初めて知りました。
上田さんはかなりの先輩でしたが、その著書は、共産党研究者として、8割がた読ませて頂きました。新聞報道にもありますように、「統一戦線」を推進する論客であるという強い印象を持っています。
 共産党が、8回党大会に原点を持つ現在の綱領実践に立ち帰りつつある時だけに、同氏のご逝去はとても残念です。研究者としてもお会いしたかった。
「たち帰りつつある」というのは、創立以来、戦前の非合法下ですら下ろしたことのない「政権追求」をやめて、この10年ぐらい「確かな野党」という観念的非弁証法的(という意味は、「政権を追求することこそが確かな野党の実践である」という弁証法から離れていたということです)方針を克服し、同党の綱領に近づきつつあるということです。7中総で「民主的政権」を改めて目標に掲げ直したことは、遅かったとはいえ非常にいいことであると、共産党研究者としては歓迎します。しかし、同党綱領では、論理的に、この政権が「連合政権」であるという立場を取っております。同党綱領は、更に論理的に、この政権を実現するためには、統一戦線が不可欠である、という立場を取っていると、研究者が曇りのない眼で見ると読めます。その点から見ると、7中総での前進は、政権構想を掲げたという意味ではきわめて画期的ではありますが、同党が掲げる政治革新実現の現実的力である「連合政府」と「統一戦線」の提起がないので、政権提起すら後戻りする危うさも感じさせられます。
 社民党との間に政策的に機が熟していない、とのことのようです。社民党の2006年宣言では、安保破棄とは言っていませんが、趣旨として「安保条約を日米友好条約にかえる」と言っています。これを重視しなければいけない、と思います。仮に、社民党がどうであれ、日本共産党は、自党の綱領に忠実に、統一戦線政策を堅持すべきでしたし堅持するべきです。
 上田耕一郎さんがお元気でしたら、共産党はもう少し早く、政権をめざしていたかもしれません。また、それだけでは、綱領から見て不十分極まる点即ち、既に述べたことの繰り返しですが、①その政権を「連合政権」ないしは「共同政権」として位置づけること、②「連合政権を実現するための統一戦線」を具体化することに全力を尽くすこと、などが行われていたかもしれません。
 上田耕一郎さん亡き後、志位委員長、市田書記局長を始め、幹部のみなさんは、同党綱領の原点=8回党大会決定を再読三読され、綱領の神髄を理解されることを、共産党を熱く支持する一若手研究者として改めて、切望するものです。2008 1031

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さよなら、ウエコーさん。

 今朝、MINSHO事務所で商工新聞の郵送の段取りをしていると、MINSHO会員で先輩党員でもあるMさんが入ってきて、  『上田耕一郎さん、亡くなっ...

  • 2008/10/31(金) 23:34:01 |
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上田耕一郎さん追悼

 日本共産党の元副委員長、元参院議員の上田耕一郎さんが亡くなった。81歳。  土佐高知さんのブログで訃報(ふほう)を知ったとき、私は10年以上も前の学生時代を思い出していた。  上京して参加した、サヨ学生たちの集会に上田さんはゲストで来てくれた。来賓あい...

  • 2008/10/31(金) 01:30:12 |
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