
大阪地裁に入る大江健三郎さん
=28日午前9時31分、大阪市北区で
(朝日新聞Web版より転載)
ちょうど63年前の1945年3月から4月にかけての、米軍による人道にもとる無差別艦砲射撃に晒されていた沖縄において、住民が集団自決させられた問題で、作家の大江健三郎さんが、「沖縄ノート」(岩波新書)の中で、『集団自決』に日本軍が深く関与していたと書いたことに対して、当時の日本軍の守備隊長が「名誉毀損」との裁判を起したのが、今回の裁判である。
大阪地裁は、この守備隊長らの訴えを全面的に棄却し、大江健三郎さんが勝訴した。
この裁判は、教科書検定に意見を付けた検定官が論拠の一つとしていたものであったので、今回の判決は、この問題に一つの決着を付けたものとなった。
御存知のように、この教科書検定による「集団自決」に対する「軍の関与」の否定と、この表現の削除強要に対して、多くの沖縄県民の心が傷付けられ、「軍の関与」を復活させる国民運動が展開された。
沖縄での11万5千人を結集した抗議集会などを受けて、福田内閣は、検定の是正を渋々認め、表現は復活された。
今回の判決は、これらの沖縄県民にとどまらない広範な国民運動の意思表示を受けて出されたものとも言えるだろう。

勝訴の垂れ幕を掲げて喜ぶ、被告側の支援者ら
=28日午前10時5分、大阪市北区で
(朝日新聞Web版より転載)
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朝日新聞Web版 によると「判決要旨」は以下の通り
******************************判決は、集団自決について、
▽ 軍から自決用に手榴弾(しゅ・りゅう・だん)が配られたという生存者の証言が多数ある
▽ 手榴弾は戦隊にとって極めて貴重な武器で、軍以外からの入手は困難
▽ 集団自決が起きたすべての場所に軍が駐屯し、駐屯しない場所では発生しなかった
ことなどを踏まえ、集団自決への「軍の深い関与」を認定した。
そのうえで座間味、渡嘉敷両島では
元隊長2人を頂点とする「上意下達の組織」があり、元隊長らの関与は十分に推認できるとしつつ、
「自決命令の伝達経路は判然とせず、命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅう・ちょ)を禁じ得ない」とした。
だが、本のもととなった住民の証言集など元隊長の関与を示す内容は「合理的で根拠がある」と評価し、大江さん側が「命令があったと信じる相当の理由があった」と結論づけた。
この判決に関する、しんぶん「赤旗」の記事へのリンクは下記。
沖縄戦訴訟大阪地裁 大江さん側勝訴 2008年3月29日(土)
【主張】 軍強制否定のねらいは崩れた 2008年3月29日(土)
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2008年3月29日(土)「しんぶん赤旗」
集団自決「軍、深い関与」
沖縄戦訴訟大阪地裁 大江さん側勝訴
検定意見の根拠崩れる
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沖縄戦の「集団自決」での旧日本軍の命令を否定する元日本軍の守備隊長らが、軍関与を指摘した大江健三郎さん(73)の著書『沖縄ノート』などで名誉を傷つけられたとし、同氏と岩波書店を相手に出版差し止めと慰謝料などを求めた訴訟の判決が二十八日、大阪地裁(深見敏正裁判長)でありました。判決は「集団自決」には「日本軍が深くかかわったものと認められる」とし、名誉棄損は成立しないとして請求を棄却しました。
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文部科学省は、この裁判での原告の主張を理由の一つとして日本史教科書の「集団自決」についての記述から「軍の強制」の言葉を削除させる検定意見をつけました。判決によってその根拠が崩れたことになります。
深見裁判長は元守備隊長の命令自体は「伝達経路が判然としないため認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じざるを得ない」としました。しかし、多くの体験者が日本軍兵士から手りゅう弾を渡されていたと語っていることなどを挙げ、軍の「深い関与」があったと認定。元隊長らが関与したことは「十分に推認できる」とし、学説状況や文献、大江さんらの取材状況を踏まえると『沖縄ノート』などの記述は「真実と信じるに足りる相当の理由があった」とのべました。
同裁判は沖縄・座間味島の守備隊長だった梅澤裕氏(91)と渡嘉敷島守備隊長だった元大尉(故人)の弟、赤松秀一氏(75)が、『沖縄ノート』と歴史学者の故・家永三郎さんの著書『太平洋戦争』(いずれも岩波書店発行)で名誉を棄損されたとして起こしました。梅澤さんらは「隊長命令による『集団自決』説はねつ造されたもの」と主張していました。
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沖縄戦「集団自決」
太平洋戦争末期の一九四五年三月下旬、米軍は沖縄県・慶良間諸島の座間味、渡嘉敷両島を攻撃。その後沖縄本島に上陸し、沖縄戦が始まりました。このなかで、旧日本軍守備隊から住民に渡された手りゅう弾を爆発させたり、肉親同士殺し合うなどして、多くの住民が集団的に死に追い込まれました。一九五〇年に地元新聞記者が執筆した『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)で、渡嘉敷、座間味両島の「集団自決」は軍命令と記述されています。
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