その県委員会・地区委員会は思い切った配置をしたのだろう。
本人の優秀さもあるだろうが幹部の若返りは党を若返らせる為には必須だろう。
大学の新入生を迎ええるビラ配りが50代・60代ばかりでは学生も引いてしまう。
ポラリスはこの二人を応援します。
頑張れ!長谷川剛
頑張れ!酒井亮
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Press
日本共産党の20代地区委員長
2人の思いは
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日本共産党には全国で315の地区委員会があります。昨年、20代の青年が2人、地区委員長に就任しました。山形県鶴岡地区委員会の長谷川剛さん(29)と、神奈川県県央地区委員会の酒井亮さん(29)です。2人に抱負を聞きました。
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若者が集う場にしたい
山形県鶴岡地区委員長
長谷川 剛さん
「若者が集う地区委員会にしたい」。昨年11月、地区委員長になった長谷川さんはそう語ります。
山形県の北西部に位置し日本海に面した鶴岡市と2町の地域に責任をもつ地区委員会。市内には、携帯電話の基盤をつくる大手電気メーカーの工場や自動車のヘッドライトの電球などをつくる企業などがあります。「契約社員や派遣社員が多く、不安定雇用の問題は深刻。青年労働者を党に迎えたい」と、長谷川さんはいいます。また、「庄内米の産地で、農業が主な産業です。農業で暮らせる政治を実現したい」とも。
戦争反対
作家の藤沢周平の生まれ故郷です。羽黒山、湯殿山、月山の出羽三山に囲まれて、中心部を清流赤川が流れています。「出羽三山を世界遺産にしたい」というのが郷土の思いです。「観光産業も発展させたい」と長谷川さん。「わが地区」にかける夢が広がります。
会社員の家庭に生まれ、党員の両親のすすめで日本共産党員になりました。18歳の時でした。終戦の年に生まれた母は、祖母から、おじさんが南方で戦死したときのことをよく聞かされたそうです。「戦争は二度とやってはいけない」と、母は繰り返し話してくれました。「高校生のときに沖縄で米兵による少女暴行事件があって、戦争反対、アメリカいいなりの日本を変える―という日本共産党とともに生きようと思ったんです」
子生まれ
高校卒業後、会社員をしたのち、2005年に地区委員会の専従職員になりました。「入党には賛成だった両親も専従には反対でした。地区委員長になるときにも『大丈夫か』と心配で大賛成じゃなかったんです」と笑います。
長谷川さん自身も「人を組織する経験がないので自信はないです。不安だらけです。先輩に学びながら、やるしかない」と語ります。
老党員の励ましの言葉が踏ん切りをつけてくれました。「新しい時代は若い人たちがつくるものだ。おれたちも頑張るから一緒にやろう。おまえが(地区委員長に)なってくれてよかった」といって、「ご祝儀だ」とカンパをしてくれたことです。
「妻が入党するとおとなの家族全員が党員になるのです。今年、妻が18歳になったので入党を呼びかけます」と長谷川さん。妻は定時制高校生です。家が貧しく授業料が払えず学校にいけなくなりました。「高校は卒業したい」と、結婚を機に再び定時制で学ぶことに。「民青同盟の活動を一緒にやり、昨年原水爆禁止世界大会に参加しました。ともに活動する中で結婚しました」と長谷川さんはいいます。
「娘といるときがなによりも楽しみ。子どもが生まれた時は二人の“保護者”になったような気持ちでした。子育ては自分も学ぶこと。社会を学び、生きることを学び、任務をやりとげます」(菅野尚夫)
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誇り ロマンに満ちた仕事
神奈川県県央地区委員長
酒井 亮さん
酒井さんが大学を卒業後、神奈川県県央地区委員会に勤め始めたのは22歳のとき。「地区委員会勤務ってなんだか地味なイメージだな。草の根の活動に粘り強く責任を負えるだろうか」。どんな仕事をするのか想像がつかず、不安もありました。
演説に涙
地区委員会で仕事をするうちに認識が変わりました。
2003年の県議選で候補者を務め、自転車に乗って政策を訴えていたときのこと。「小児医療費助成の引き上げをぜひお願いします」と、孫をあやしながら涙を流し演説を聞いてくれたおばあさんの姿が忘れられません。
「しんぶん赤旗」の配達・集金活動を営々と支えているたくさんの党員や後援会員。住民と密着し、福祉とくらしの守り手として奮闘し、信頼されている党地方議員団。
「あらゆる活動の教訓は、現場で切り開かれ、地区委員会の活動の中から生まれる。誇りとロマンに満ちた仕事だ」と感じるようになりました。
「私たち専従者は、党員のみなさんに支えられている党活動のプロ、職業革命家です」
酒井さんが地区委員長になったのは07年12月のこと。06年に若手幹部養成のため、党中央が開いた「特別党学校」に神奈川県から参加した酒井さんら3人が、地区委員長に選出されました。
「同じ年代の仲間がいて、孤独な挑戦でないことはとても心強いことです。いつも参考にしています」と酒井さん。
「自由奔放に、遠慮なく、縦横無尽にやってください」。酒井さんが地区委員長に就任するとき、小池潔県委員長からそう激励されました。
第一党に
若い地区委員長を支えているのが、ベテランの地区の人たちです。自分の親や祖父母の年代の人たちの中で活動する酒井さん。「なんの垣根も、なんの遠慮もありません」と言い切ります。
「年配の方は人生を通じてつちかってきた、つながりもあれば、その方でないと語れない歴史と役割を持っています。世代を超えて連帯できると信じています」
「党には個人的な栄達を超えて、世の中をよりよくするために自分の力を発揮しよう、と決意した方たちが集まっています。今いちばん求められている課題は、総選挙で勝つために党員を増やすこと。地域で第一党になることをめざして、大胆に、信頼して、支部によびかけています」
さて、休みの日には、「妻とスパゲティを10人前作りました」と話す酒井さん。なぜ10人前?「数日分の朝、昼、晩のご飯です」
その最愛の妻とは、「特別党学校」で知り合ったとか。(平井真帆)