福岡大学教授・星乃治彦(ほしの・はるひこ)さんの論文?
【ナチス前夜の「抵抗」】
が、掲載された。
ナチス台頭に直面したドイツ共産党と社会党の反目と、草の根でナチスに抵抗した市民のありさまを概括し、現在の状況に活かしたいとの動機で書かれたものらしい。
この論文が、日本共産党第5回中央委員会総会後、間もなく掲載されたことは、日本共産党が「全選挙区立候補」方針を見直したことと絡めて考えても、感慨深いものである。
論文の要旨は、社共で対立があっても草の根でそれを克服してナチスに対して共同して抵抗とする流れが構築され、
【反ファシストたちは、党派を問わず一緒になって防衛隊を組んで、ナチスのテロから自分たちの家族や空間を防衛しようとしたし、「九条の会」を想起させる統一委員会の集会で、自分たちの統一の力を実感していた。】と言う。
当時のドイツ共産党は、社会党を敵視する政策を取り、「貴重な時間を無駄にした」と星乃治彦さんは語る。
【執筆者-S】
星乃治彦さんの論文
【ナチス前夜の「抵抗」】
は、【続き】をどうぞ。
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【ナチス前夜の「抵抗」】 星乃治彦
統一の可能性生んだ(草の根)グラスルーヅの運動
ナチス前夜の「抵抗」
「抵抗」は、考えられているほど簡単なことではない。大勢に迎合したり、見てみぬ振りをしたりする方が、どんなに容易なことだろう。
ただその時は少数者であっても、未来を見据えた抵抗は、いっかは評価され、未来の人たちに感動を呼びおこす。
日本共産党の戦前の抵抗も、ナチス体制下ミュンヒェン大学の学生の「白バラ」抵抗運動も、それがあったが故に、今のわれわれは良心の「救い」を実感できるのである。
党派を問わず一緒に防衛隊
1933年1月30日、ドイツではナチスが政権を握った。これに対して反ファシズム勢力が無為だったわけでもない。宣伝とテロによってナチスは容易に政権を獲得したかのように誤解されがちだが、この時、議会内のナチスの議席数は三割程度でしがなかった。
逆に、この時になっても、ドイツ社会民主党とドイツ共産党をあわせた議席は四割を超えていた。
では、なぜその二つの労働者政党が統一戦線を作ることができなかったのか、というのが長い闇研究者の課題であった。
社会民主党側の反共主義、共産党側の、ファシズムと社会民主党を同列視する「社会ファシズム」論が、統一の妨げとなったと言われた。
その歴史的過ちを克服したのが、スペインとフランスにおける人民戦線とされた。
ただ、新しく見ることができるようになった史料を見ていくと、たしかに政党指導部闇では確執が激しく続いていても、それに関係なく、ドイツでも草の根(グラスルーツ)の反ファシズム運動が旺盛に展開されていたことが判明する。
労働者街にナチスが侵入すると、彼ら反ファシストたちは、党派を問わず一緒になって防衛隊を組んで、ナチスのテロから自分たちの家族や空間を防衛しようとしたし、「九条の会」を想起させる統一委員会の集会で、自分たちの統一の力を実感していた。
そこでいう統一とは、単に社共という党派の統一だけではなく、階級の統一、運動の組織的形態と自然発生的形態の統一、経営外の運動と経営内の運動の統一等など、実に多様な内容を持つものであった。
今風に言うとヤンキーたちも運動に参加していた。
彼らの統一した目標は「反ファシズム」。こうした広範な反フアシズムのグラスルーツ運動は、「反ファッショ行動」という名前を持ち、全国大会を開催するまでにいたった。
逆に支配層はこうした動きに恐怖を感じ、対抗策の切り札として、ナチス政権樹立に傾斜するようになっていったのである。
がれきの中で真っ先に蘇生
「人民の子」(トレーズ)であるドイツ共産党にも反ファシズム運動の動きが反映された。
党内にも宣伝部を中心にとくにそうしたグラスルーツとの連携に積極的なグループも生み出された。
だが、その一方で当時の共産党は、直接的にコミンテルンに指導される立場にあり、モスクワの意向を無視することができなかった。当時のドイツ共産党議長テールマンの目は、やはりモスクワの方を向いていた。
統一派の意見は、社会ファシズム論の壁に突き当たって、理論的にも実践的にも十分に展開できなかった。
貴重な時間が失われた。
ファシズムと反ファシズムの激烈な先陣争いの時に、この失われた時間はあまりにも大きかった。
その結果、1945年まで、恐ろしい12年間をドイツは経験することになったのである。ただ、「反ファッショ行動」がそれで死に絶えたわけでもなかった。戦後瓦礫(がれき)の中で、真っ先にドイツ人の組織として蘇生(そせい)し、戦後ドイツを再建していく中心となったのは、実は「反ファッショ行動」だったし、その反ファシズムの伝統は、ドイツにおいて現在に至るまで引き継がれているのである。
ヴァイマル共和国は戦後日本とよく比較される。
ファシズムに反対する統一の力強さこそが未来を切り拓(ひら)いたという歴史的教訓を、私たちも憲法を護(まも)りたいという善意の中で生かしたい。
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星乃治彦 ほしの・はるひこ
福岡大学教授。一九五五年生まれ。
専攻はドイツを中心とした現代史。
『男たちと帝国』『社会主義と民衆』ほか。
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済