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ポラリス-ある日本共産党支部のブログ

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宮本顕治さん御逝去の報  つづき

 昨日は、時事通信の記事を速報で掲載した、しんぶん「赤旗」より早いポラリスですが、本日は朝日新聞記事と、しんぶん「赤旗」記事を御紹介します。

まず、朝日新聞記事のリンク

① 社説【共産党―宮本時代を超えるには】

② 共産党の宮本顕治・前名誉議長が死去(朝日新聞) - goo ニュース

朝日記事転載(結構長いです)
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共産党の宮本顕治・前名誉議長が死去
          2007年07月18日20時44分

 日本共産党の中央委員会議長、同幹部会委員長などを歴任し、40年近く同党の最高指導者だった宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳だった。同党が非合法とされていた戦前からの幹部で、50年代に「宮本体制」を確立。旧ソ連や中国などの社会主義国と一線を画した「自主独立」、国内での「議会主義」の路線を進め、、「少数が多数に従う」という「民主集中制」を組織原則とする共産党を築き、同党の支柱として90年代まで君臨した。

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         共産党第4回中央委員会総会であいさつする宮本顕治議長
                   =1995年10月25日
 宮本家で密葬を行うとし、共産党として参院選後に葬儀を執り行う。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。

 宮本氏は97年9月の第21回党大会を機に引退し、実権を持たない名誉議長になり、00年11月の第22回党大会で名誉役員の一人になっていた。

 宮本氏が一線を退いた後の党運営は、委員長を引き継いだ不破哲三・前議長が中心となって担ってきた。不破氏も06年に議長を勇退し、党の実務は志位和夫委員長と市田忠義書記局長に引き継がれている。

 不破氏は90年代に志位氏とともに「ソフト路線」を進めた。現在の党運営は不破氏が敷いてきた路線に沿っている。宮本氏の死去で党の政策や路線に変更は生じないものの、党にとって宮本氏の死去は大きな節目となりそうだ。

 1908(明治41)年、現在の山口県光市生まれ。東大在学中の29年、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」が雑誌「改造」懸賞論文の1等になって文筆活動を開始。大学卒業後の31年に共産党に入党。翌32年に作家中条百合子と結婚、33年5月には党中央委員になったが、同年12月に逮捕され、治安維持法やいわゆる「スパイ査問事件」などで有罪となり、無期懲役の判決を受けた。その後、45年10月に網走刑務所から釈放されるまで非転向を貫いた。

 戦後は、55年に指導部に復帰。58年には書記長に就任し、事実上の最高指導者となった。70年には新設された幹部会委員長となり、不破氏を書記局長に抜擢(ばってき)。82年には委員長を不破氏に譲り、議長になった。77年には参院全国区で初当選。83年には比例代表区で再選され、89年まで議席を維持した。

 宮本氏の指導下、共産党は64年には旧ソ連の「修正主義」と日本の党に対する干渉を批判して断絶。66年には文化大革命直前の中国共産党と決裂するなど、外国の共産党に対する「自主独立」路線を取った。87年の大韓航空機爆破事件について「北(朝鮮)のやったことだ」と発言。89年からの旧ソ連・東欧諸国の体制崩壊に対しては「科学的社会主義とは無縁の出来事で、こうした政権の崩壊は当然のことだ」との考えを表明した。
         (朝日新聞 転載・以上)

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2007年7月19日(木)「しんぶん赤旗」

日本共産党元中央委員会議長
     
    宮本顕治さん死去

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 日本共産党中央委員会名誉役員で元中央委員会議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏は、十八日午後二時三十三分、老衰のため東京都渋谷区の代々木病院で死去しました。九十八歳。

 喪主は長男の太郎氏。葬儀は宮本家の密葬とし、党としての葬儀は参院選後にとりおこないます。

 一九〇八年(明治四十一年)山口県熊毛郡光井村(現在の光市)生まれ。愛媛県の松山高校を経て東京大学経済学部に入学。二九年二十歳のとき、雑誌『改造』の懸賞論文に応募した文芸評論「『敗北』の文学――芥川龍之介氏の文学について」が一等に入賞しました。

 三一年五月入党。三二年作家の中条百合子と結婚。三三年に二十四歳の若さで党の中央委員になりました。同年十二月、党に潜入していたスパイの手引きによって特高警察に検挙されます。

 特高警察は日本共産党の名誉を失墜させるため、さまざまな事件を仕立て上げ、デマ宣伝を繰り広げました。これにたいし、宮本氏は、獄中という困難な条件下で、日本共産党の名誉を将来にわたり守り抜くために全力をあげ、法廷では事実を解き明かして、デマ宣伝を打ち破りました。戦時下の暗黒裁判は、宮本氏にたいし、治安維持法違反を主とした無期懲役の判決を下しましたが、戦後、この判決は取り消されました。

 宮本氏は戦後すぐ党再建活動に参加、日本共産党をきわめて困難な状況に陥れたいわゆる「五〇年問題」では、その解決の先頭に立ちました。これはソ連のスターリンが革命直後の中国共産党の毛沢東指導部と組んで中国方式の武装闘争路線を日本共産党におしつけようとして企てた干渉作戦でした。

 この干渉のなかで党は分裂し、分裂した一方の側=徳田・野坂分派はスターリンの直接指導のもと北京に拠点をおいて、軍事方針とよばれる極左冒険主義の方針を日本に持ち込みます。徳田・野坂の分裂的行動に反対すると同時に、彼らが持ち込んだ武装闘争方針に真っ向から反対するたたかいの先頭に立ったのが宮本氏でした。

 党はこのたたかいを通して統一を回復、党綱領と自主独立の確固とした路線を確立しました。宮本氏は五八年の第七回党大会で書記長に選ばれます。六一年の第八回党大会まで継続審議となった綱領問題の討議を発展させるための小委員会責任者として、粘り強い論議を組織しました。

 第八回党大会で採択された綱領は、当面の革命について、世界の発達した資本主義国の共産党の間でいわば常識とされていた社会主義革命論をとらず、民主主義革命の立場を打ち出しました。綱領はまた、武装闘争方針や強力革命の路線をしりぞけ、日本の社会と政治のどんな変革も、「国会で安定した過半数」を得て実現することをめざす、という立場を明らかにしました。

 六〇年代には、ソ連共産党と中国共産党の毛沢東派から、それぞれ日本共産党を自分たちの支配下におこうとする覇権主義的干渉を受けました。これにたいし、日本共産党は、宮本氏を先頭に大論争をおこなって、これらの干渉をはねのけました。

 国際活動では、六六年、宮本氏を団長とする党代表団がベトナム、中国、北朝鮮三国を訪問。折からのアメリカのベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために力を尽くしました。六八年には、宮本氏を団長とする北朝鮮訪問団が金日成と会談し、当時国際的に問題となっていた北朝鮮から南への武力介入計画の中止を求め、同意をかちとりました。

 米ソの核戦争の危険性が増大した八四年には、宮本氏を団長とする党代表団がソ連共産党代表団と会談し、不一致点はわきにおいて、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶にかんする「共同声明」を発表しました。この共同声明が契機となって、八五年二月、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」が発表されるなど、核兵器全面禁止・廃絶の主張が、世界の反核平和運動の大きな流れとなりました。

 七〇年幹部会委員長、八二年中央委員会議長に選出されます。九七年の二十一回大会で議長を引退、名誉議長に。二〇〇〇年の二十二回大会から名誉役員に。宮本氏は、六十九歳のときに、参議院議員に初当選。以来、一九八九年まで二期十二年務め、国会の場でも日本の民主的改革をめざすたたかいの先頭に立ちました。

 二十一回党大会の閉会あいさつで不破哲三委員長(当時)は、次のようにその足跡をたたえています。

 「宮本前議長が党の中央委員会に参加したのは戦前の一九三三年、それいらい、六十四年間、ほぼ三分の二世紀という長期にわたって、党の指導の先頭にたって活動してきました」

 「民主主義と平和の日本をめざす戦前の不屈の闘争に始まり、日本共産党をきわめて困難な状況におとしいれたいわゆる『五〇年問題』の解決、党綱領と自主独立路線の確立、諸外国の覇権主義との断固とした闘争、核兵器廃絶をめざす国際的な活動、日本の民主的な改革をめざすたたかいなど、宮本前議長がわが党とその事業のなかで果たしてきた役割と貢献は、歴史の事実として党史に明確に記録されている」

弔問・記帳は党本部で受け付け
 故・宮本顕治氏の弔問・記帳は十九日から日本共産党本部のエントランスホールで受け付けます。

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  党幹部コメント


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コメント

西日本新聞にも出てました

7月19日付、西日本新聞でも、一面TOP(とはいえ、左上なのでセカンド記事? 「自動車6社生産休止」がTOP記事)と5面の右半分全部、そして29面(いわゆる3面記事)左側1/3ほどを使い、紙面の3ヶ所で特集を組むという、日本共産党関係の記事としては、『異例の』取上げ方でした。
全体としては、宮本氏の活動を比較的客観的かつPositiveに評価していたように見えます。
もちろん、日本共産党の現状について批判的側面を書くことを忘れてはいませんが・・・
下のコメントで「たけむら」さんの言うコメントは、筆坂秀世、浜田幸一、柴田朴、中村勝範の4氏のものでしょう。

西日本新聞の知識人?コメントは、ひどいものでした。
抗議をするか、購読を止めるか、真剣に考えました。

  • 2007/07/20(金) 00:26:33 |
  • URL |
  • たけむら #-
  • [ 編集 ]

朝日新聞記事のリンク ① 社説【共産党―宮本時代を超えるには】を読んで

アホらし、と思いました。

>だが、ともすれば硬直的になりがちなその姿勢が、共産党を小さく、閉鎖的にしてきた要因だったのではないか。

はあ?何が「硬直的」?「共産党を小さく、閉鎖的にしてきた要因」?何言ってんのかね。ここ数年、大手マスコミ自身が「自民か、民主か」と宣伝してきた事にはダンマリだし、共産党にストーカーする公安警察の存在には触れてないし…。

>社民主義政党への脱皮や党名の変更など、本格的な改革を求める党内の声に耳を傾けるべきだろう。

はあ?党名の変更?まだそんな事言ってるのか?そんな事を言うなら、「共」や「産」がどういう悪い意味を持ってるのか説明すべきでしょう。これだから一般マスコミは嫌なんだよね。アホらし。

>共産党は民主党を「自民党と同じ」などと批判し、この参院選挙後の連携を否定している。社民党との足並みもそろわない。党員の高齢化が進み、党勢拡大の展望は見えない。

はあ?民主党が自民党を批判してもやがて民主党への批判として返ってくる「ブーメラン野党」と揶揄されているんだから、共産党が民主党を「自民党と同じ」などと批判するのは当然でしょう。社民党だって「護憲」の旗を掲げながら、改憲を狙う政党と選挙協力するという矛盾を抱えているし。

>いまのままの共産党が「21世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」と言っても、現実味を感じる人がどれほどいるだろうか。

はっはっは。笑わせてくれるねえ。共産党が国民のための政治を実現させるために街頭宣伝などで署名を集めたりしてがんばっている、企業献金も政党助成金ももらわず、個人献金や機関紙活動や党費収入などでお金を集めてる、そんな政党の活動を毎日報道もしない大手マスコミが偉そうに言ってるんじゃないよ。そのうち、アメリカ国民大多数が日本共産党を評価するようになったら、日本の大手マスコミの値打ちも下がると思いますよ。

 長くなってすみません(^-^;)。

~いまこそ必要 ブーメランにならない たしかな野党~
~たしかな野党を、小さくても応援し続ける勇気を!~

  • 2007/07/19(木) 21:33:39 |
  • URL |
  • 嶋1971 #9PBfX8nM
  • [ 編集 ]

>治安維持法やいわゆる「スパイ査問事件」などで有罪となり

これが、すでに間違っていて、春日一幸の「反共質問」の中身に沿っている。
宮本氏は「治安維持法」以外の罪状で有罪判決を受けていないから、戦後、同法が廃止されて「刑を受けざりしもの」として釈放。(つまり「前科」になってない)

まだ、ハマコー並の認識かな、朝日新聞。

  • 2007/07/19(木) 21:08:51 |
  • URL |
  • 名乗らない輩 #-
  • [ 編集 ]

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