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ポラリス-ある日本共産党支部のブログ

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「年越し派遣村」から国会決議が

日比谷公園で行われている「年越し派遣村」は5日9時で終了する。
500には都内4か所に分散して泊まれるようになったようだ。

また4日の集会で全野党で住宅確保求める決議案を提出することが決まったようだ。

年越し派遣村:5日以降、廃校など4カ所に全員収容へ


元派遣労働者らのため開放され布団が敷き詰められた厚労省の講堂=東京都千代田区で2009年1月2日午後10時49分、内藤絵美撮影

 仕事や住居を失った派遣労働者らを支援するため東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」の実行委員会は4日、入村者の宿泊場所にしてきた厚生労働省講堂の使用期限が切れる5日以降の対応について同省と折衝した。同省は、廃校になった中央区の小学校体育館など都内4施設の利用を提示、実行委も同意した。期限は当面12日までで、食事も厚労省が手配する。この結果、入村者がただちに行き場を失う事態は避けられる見通しとなった。

 実行委によると、厚労省が提示した施設は▽中央区の旧京華小と旧十思(じっし)小の体育館▽練馬区の都体育館▽大田区の都の宿泊施設--の4カ所。5日午前、派遣村を撤収し移動する。4日現在の入村者は500人近くで、大半が新たな施設に移る見通し。その後、千代田区やハローワークの担当者が施設に出向き、生活保護や就職の相談に乗るという。

野党幹部が「派遣村」に参加、住宅確保求める決議案提出へ
特集 大揺れ雇用

 野党各党の幹部が4日、東京・日比谷公園に開設されている一時避難所「年越し派遣村」で開かれた集会に参加し、雇用対策に取り組む姿勢をアピールした。

 野党幹部はこの場で、雇用対策の強化と解雇された派遣労働者らへの住宅確保を求める国会決議案を、5日召集の通常国会に提出し、与党に同調を働きかけることで合意した。

 参加したのは民主党の菅代表代行、共産党の志位委員長、社民党の福島党首、国民新党の亀井久興幹事長ら。菅氏は「定額給付金の2兆円を雇用対策に振り向ければ、相当のことが緊急にやれる」と訴え、志位、福島両氏らは「(解雇など)各地で起きていることは政治災害だ。政治の責任で緊急の手当てを取るべきだ」などと主張した。また、新党大地代表の鈴木宗男衆院議員の発案で、国会決議案の提出を決めた。
(2009年1月4日19時18分 読売新聞

トラックバックを頂いた大津留公彦のブログ2が4日の集会のことは詳しい。
6本の記事をアップされている。

我が党の志位委員長が活躍している感じがある。

引用します。

共産党 志位委員長
1 これは政治災害 政治の責任で行ったことは政治の責任で解決すべき
2 安定的な職の確保
3 生活保護を受けるのは憲法25条で保証された国民の権利
4 派遣切り期間工きり防止特別立法を与党も巻き込んで成立を

集会後のその演壇の場での全野党会議で明日派遣切りをやめさせ犠牲者のの生活保障を求める国会決議を出すことが決まったようです。
目の前で政治が動いています。
政治を動かすのは国民の声なのだということを体感しました。



冨田なおきwebにはこうありありました。

全国からの善意が集まっています。組織の違いを超えて、数百人の方がスタッフとして目の前の命をつなごうとしています。冷酷な大企業の姿勢と対極にある、人間の連帯の姿に、気温は寒いながらも、熱いものを感じました、

ただ、志位さんが取材陣に語ったとおり、「これは急場」です。

2009年は、「使い捨て」雇用を許してきた政治を変えようじゃありませんか。



こういう読売の記事もあった。

生きる希望、派遣村がくれた…失業・自殺未遂から再起誓う

炊き出しを待つ人たちの長い列(3日、東京・日比谷公園で)=尾賀聡撮影

 職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。

 入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を図るまで追いつめられた男性(46)がいた。家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた――。

 「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。約7年間続けた製本の仕事は日当6840円。週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは1日1000円以上かかった。大みそかの朝、所持金は200円になっていた。「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。

 男性は、北海道釧路市出身。19歳で上京し、不動産会社の従業員だった27歳の時に結婚した。その後、タクシー運転手に。待望の長男を授かってからは、率先して炊事や洗濯、子守を手伝う良き父だった。

 しかし、タクシーの仕事は減り、それに伴い夫婦仲も悪くなり、8年前に離婚した。空虚感から仕事が手につかなくなった。離婚から2年後、アパートを夜逃げ同然で飛び出し、ネットカフェなどで暮らしていた。

 今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。上京後、初めてデートした公園のそばだった。高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。

 だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介するリポーターの声が聞こえた。

 「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、ここに来ればなんとかなるかもしれません」

 日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、涙がこみ上げてきた。

 同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。

 男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。
(2009年1月4日11時54分 読売新聞)

「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」と言える社会を作りたい。

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